SEのいうバッファとは

バッファの真意

見積りや作業スケジュールに際して、エンジニアやシステム会社から「バッファである」という回答を受けたことはないか。システム会社が言うバッファとは保険を意味していることがほとんどである。

不確実なバッファ

非エンジニアは見積りのバッファを聞いたときに、無駄なのではないかと感じる。「念のため」に必要なバッファは、裏を返すと知識がないから調べないと分からないので不安であるという意味である。知識があり、「念のため」が必要なければバッファはないと考えられる。

知識の不足

ほとんどのシステム構築プロジェクトは、バッファが多いほうが知識がないのに見積りが高くなるという矛盾が発生することになる。そう考えると「バッファ」とは「無駄」に聞こえるかもしれない。

本質のバッファ

さて、このバッファについて本来あるべき姿を説明する。本当にやってみなければ分からないといった高度な技術を使うときに、未知の領域に関するスケジュールの影響を勘案し、計画された期間のことをバッファと見るべきである。

まとめ

単なるシステム構築プロジェクトにおいて「無駄を削ればよい」というのは非エンジニアから見ると合理的でコストの軽減にもなる。しかし、研究開発分野において無駄を削ることは必ずしも合理的ではない。発想が乏しくなるからである。

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思考と決断のPM力

PMの真価

スキルシート上にあるPMというのは、どういった開発言語や開発環境などを使ってきたかという内容であることが多く、SEの延長という意味合いが強く残っている。もし、期待するポジションが発想力や提案力にあるとすれば、姿勢をみることが大切となる。

従順の呪縛

就職氷河期と呼ばれる世代より上の年齢層では、常に従うことを幼少期から叩き込まれていると考えられる。日本では「禁止」か「許可」かを常に意識しながら仕事をしており、「許可されるまでは禁止されている」と考えているのではないかと推察される。

失敗からの成長

正しいか、間違っているか、の判断基準しか持ち合わせていない場合、何か問題が発生したときに時間を遡ってどこで判断を間違えたのかを追求する。それは大切なことであるが、実際のプロジェクトでは誤ったことを反省しつつ修正しながら進むことが大切である。

判断力の真髄

エンジニア出身のPM(開発プロジェクトのPM)だと、禁止か許可かというデジタルのような見方をしている人もいる。特に今日のシステムに関するプロジェクトでは、ゼロかイチだけでは判断できないような、ウエットでアナログな状況判断が必要となる。

まとめ

たとえ能力の高いPMだったとしても、仕事になると発想することや作ることの楽しみより、ミスによる懲罰を恐れたりするために、無難で当たり障りのない判断をしがちである。システムに関するプロジェクトがなかなか前へ進まない理由でもある。

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デジタル化の誤解:効率化の落とし穴

デジタル化は効率化を保証しない

デジタル化と聞くと、多くの人が効率化を期待する。しかし、たとえばFAXで受け取った紙の受注をOCR(文字認識)でデジタルデータ化し、データベースに保存しても、それは単なるデジタル化に過ぎない。デジタル化を行うだけでは本質的な効率向上は望めず、業務フローの見直しがなければ効果は限定的だ。

非効率なフローをそのままデジタル化するリスク

最も大きな問題は、業務フローを見直さずにデジタル化を行うことだ。従来の手作業のフローをそのままデジタル化すれば、かえって作業が煩雑化し、時間がかかることもある。特にITに疎い権限者が意思決定を行う場合、このような失敗はよく見られる。「デジタル化=効率化」と誤解し、実際には逆効果となるケースも少なくない。

俯瞰できないシステム担当者の問題

システム担当者やシステム会社が、俯瞰的な視点を持たない場合も問題だ。業務フローを把握せず、指示通りにデジタル化を進めれば、非効率なシステムが出来上がる。ユーザー部門は「IT化で逆に効率が悪くなった」と感じ、最悪の場合、システムが欠陥品だと誤解されることもある。業務の流れを把握し、適切にデジタル化を進めることが必要だ。

生成AI導入の失敗例

生成AIの導入に関する相談も増えているが、その多くは「期待通りに動かない」という内容だ。その原因は、多くの場合、AIが本来必要ない箇所に導入されていることだ。たとえば、ただのデータ管理であれば、生成AIではなくRDB(リレーショナルデータベース)のほうが合理的だ。効率を上げるには、AIの利用が本当に適切かを見極める判断力が必要だ。

まとめ

「ITが分からないから任せる」という姿勢はリスクが高い。ITを知らない人がIT化を進めるのは、決算書を読めないのに経営をするのと同じだ。業務フローを理解し、技術を正しく活用するには横断的な視点と経験が不可欠だ。

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マニアの逆効果

趣味の進化

趣味やコミュニティにファンが定着しないという話をよく耳にする。この現象を理解するには、戦後日本の変遷を振り返る必要がある。高度経済成長期に入ると、人々の可処分所得が増加し、余暇時間も確保されるようになった。これに伴い、日本人の趣味の選択肢は爆発的に広がっていったのである。

IT黎明期

そんな多様な趣味の選択肢の中から、パーソナルコンピュータという新しい文化が誕生した。初期のパソコンマニアたちは、その後のIT業界の礎を築いていった。彼らの情熱と探究心は、技術革新の原動力となったのである。ユーザー数が増加するにつれて、独自の用語やネットスラング、コミュニティ文化が形成され、デジタル時代特有の新しいコミュニケーション様式が確立されていった。

マニアの防衛

しかし、ユーザー層が拡大するにつれて、必然的にライトユーザーや一般層の参入が増えていった。この変化に対して、コアなマニア層の中から、自分たちが築き上げた文化や価値観を守ろうとする動きが現れる。彼らは意図的に専門用語を多用したり、新規参入者に対して高い障壁を設けたりすることで、独自の世界を保持しようとした。このような排他的な姿勢は、結果として健全なコミュニティの成長を阻害する要因となったのである。

IT変革期

このような状況は、しばしば「マニアが業界を衰退させる」という批判の対象となってきた。IT業界を例に取ると、黎明期には「オタク」というレッテルを貼られ、社会的偏見にさらされることも少なくなかった。しかし、ITバブル期に入ると状況は一変する。テクノロジーの急速な発展と共に、IT関連の職種は一気に注目を集める花形職業となっていったのである。この変化は、マニア文化が一般社会に受け入れられていく過程を象徴的に示している。

まとめ

現代では、パソコンの使用者をマニアと結びつけて考えることはほとんどなくなった。しかし、同様の現象は量産型のプログラミング業務の中でも起きていた。ローコード開発の台頭により、プログラミングは特別な知識を持つ人だけのものではなくなり、誰もが気軽に扱える時代となったのである。

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